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夏雲(なつぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦〔#達昭和11年6月p.『達第七十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十一年六月十日 海軍大臣 永野修身 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 夏雲(ナツグモ)』〕。一等駆逐艦朝潮型の7番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』〕。1942年(昭和17年)10月12日、サボ島沖海戦において米軍機の空襲を受け沈没。戦後、海上自衛隊の護衛艦「なつぐも」が就役した。 == 艦歴 == === 太平洋戦争開戦まで === 1936年(昭和11年)6月10日、佐世保工廠で建造予定の駆逐艦に「夏雲」の艦名が与えられる〔。佐世保工廠で建造された朝潮型は、「朝潮」と「夏雲」の2隻である〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『朝潮|(艦性能略)|佐世保工廠|10-9-7|11-12-16|12-8-31|(艦兵装略)』〕。「夏雲」は同年7月1日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『夏雲|(艦性能略)|佐世保工廠|11-7-1|12-5-26|13-2-10|(艦兵装略)』〕〔『艦船要目ニ関スル件照會(中略)艦名 夏雲(ナツグモ)|龍骨据付ノ日 昭和十一年七月一日(以下略)』〕。 1937年(昭和12年)5月26日に進水〔〔『○進水 驅逐艦荒潮本月二十六日株式會社川崎造船所、驅逐艦夏雲ハ同日佐世保海軍工廠ニ於テ孰モ進水セリ』〕。神戸川崎造船所で建造していた朝潮型4番艦「荒潮」と同日附の進水である〔。 8月16日、日本海軍は吹雪型駆逐艦「東雲」および「薄雲」駆逐艦長を兼務していた北村昌幸中佐を、夏雲艤装員長に任命した。8月23日、佐世保工廠に夏雲艤装員事務所を設置〔『○艤装員事務所設置 驅逐艦夏雲艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置シ八月二十三日事務ヲ開始セリ』〕。本艦は朝潮型1番艦「朝潮」と共に建造された。 同年12月8日、北村は正式に夏雲初代駆逐艦長となる。 1938年(昭和13年)2月10日に竣工〔。ただちに横須賀に回航された〔『○驅逐艦夏雲行動豫定』〕。同日附で第41駆逐隊(山雲、夏雲)が編制され(駆逐隊司令高間完大佐)〔高間は、サボ島沖海戦(夏雲沈没時)、第三次ソロモン海戦時の第四水雷戦隊司令官。後に第二水雷戦隊司令官、第十一水雷戦隊司令官等を歴任。〕、司令駆逐艦は朝潮型6番艦「山雲」に指定された〔『○司令驅逐艦指定 第四十一驅逐隊司令ハ二月十日司令驅逐艦ヲ山雲ニ指定セリ』-『○司令驅逐艦變更 第四十一驅逐隊司令ハ二月十四日司令驅逐艦ヲ山雲ヨリ夏雲ニ變更セリ』〕。2月14日、41駆司令駆逐艦は「山雲」から「夏雲」に変更される〔。 2月22日より1日だけ、横須賀警備隊司令官は長門型戦艦1番艦「長門」から「夏雲」に将旗を移揚した〔『○将旗移揚 横須賀警備戰隊司令官ハ二月二十二日将旗ヲ長門ヨリ夏雲ニ移揚セリ』〕〔『○将旗復歸 横須賀警備戰隊司令官ハ二月二十三日将旗ヲ夏雲ヨリ長門ニ復歸セリ』〕。 その後、姉妹艦2隻(朝雲、峯雲)も竣工と共に第41駆逐隊へ編入される。7月22日、高間大佐は敷設艦「厳島」艦長へ転任。後任の第41駆逐隊司令は板垣盛大佐となる〔。 11月15日附で北村(夏雲艦長)は転任。朝潮型6番艦「山雲」駆逐艦長原為一中佐〔後日、陽炎型駆逐艦「天津風」駆逐艦長、第27駆逐隊司令《時雨》、軽巡洋艦「矢矧」艦長等を歴任。〕が夏雲駆逐艦長を兼務することになった〔。 12月1日、原(山雲・夏雲艦長)は吹雪型駆逐艦「綾波」駆逐艦長へ転出。吹雪型駆逐艦「響」駆逐艦長溝畠定一少佐は、山雲駆逐艦長と夏雲駆逐艦長の兼務を命じられた〔。 のち第三予備艦となり横須賀海軍工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。 1939年(昭和14年)1月15日附で第1駆逐隊司令手束五郎大佐は第41駆逐隊司令を兼任する。 2月10日、夏雲駆逐艦長として原田耕作少佐が着任。 4月15日より柴田力大佐が第1駆逐隊(10月20日まで)と第41駆逐隊司令を兼ねる。 7月24日附で夏雲駆逐艦長は原田から大田春男少佐へ交代。 11月15日、所属の第41駆逐隊は第9駆逐隊と改称され、第41駆逐隊司令だった柴田大佐は第28駆逐隊司令へ転任。第9駆逐隊初代司令は新美和貴大佐となる。なお、それまでの第9駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)は、前年11月15日附で佐世保鎮守府所属の第27駆逐隊と改称されている(駆逐隊司令渋谷紫郎大佐)。 1940年(昭和15年)1月25日、大田(夏雲駆逐艦長)は敷設艦「厳島」副長へ転任。後任の夏雲駆逐艦長には睦月型駆逐艦8番艦「長月」駆逐艦長塚本守太郎少佐が任命された〔。塚本は、樅型駆逐艦17番艦「蓮」、初春型駆逐艦「初霜」艦長〔や「若葉」艦長等を歴任していた。 9月16日、朝潮型2番艦「大潮」艦長渡邉保正中佐は陽炎型駆逐艦16番艦「嵐」艤装員長(初代艦長)を命じられ、塚本中佐は「夏雲」と「大潮」の駆逐艦長を兼務する〔。11月15日、白露型駆逐艦9番艦「江風」駆逐艦長吉川潔中佐が「大潮」駆逐艦長に任命され、塚本(夏雲艦長)は兼務を解かれた。 11月、第9駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦「那珂」)に編入される。新美大佐(9駆司令)は軽巡洋艦「多摩」艦長へ転任。後任の第9駆逐隊司令は篠田勝清大佐(前職、第30駆逐隊司令)〔。四水戦司令官も、栗田健男少将から西村祥治少将(金剛型戦艦3番艦「榛名」艦長)に交代した〔。栗田は最上型重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、三隈、最上)で編成された第七戦隊司令官に任命された〔。 1941年(昭和16年)4月10日、第9駆逐隊司令は佐藤康夫大佐(前職、第5駆逐隊司令)に交代した〔篠田大佐は、のちに扶桑型戦艦2番艦「山城」艦長としてレイテ沖海戦スリガオ海峡夜戦で戦死。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夏雲 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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